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若松孝二「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」をやっと観た。
持丸博役の俳優が異様に老けて見えるのが印象的だった。私らが子どもの頃の大学生は確かにあんな風だった。
もう一つ印象に残っているのが、楯の会の血判状の文字が決して達筆ではなく、書きなぐったように見えたこと…。若松作品では手書きの書であるべきところが平気でワープロ文字で代用されているのを以前にも観たことがある。それは美術のディテールには拘らずスピーディに映画を仕上げてゆく若松流なのかもしれないが、たとえば「エンドレス・ワルツ」では70年代の物語と現代の新宿の風景が交錯するのが予算削減のためなのか意図的な演出なのかよくわからず、その混乱に奇妙な感動を覚えた。
現実の楯の会の血判状は見たことがないが、映画の中のそれは「美しい文字による神聖化」を拒絶しているように見えた。あれはひょっとすると、俳優陣が演じながら書いたものをそのまま採用しているのかもしれない。
ポール・シュレイダーの「MISHIMA」の対極にあるようなこの映画で、神聖化の拒絶と俳優陣の熱気こそが若松孝二が三島に対して払った最大の敬意ではないか思った。そしてそれはそのまま若松孝二自身から後続の世代への檄文となっている。
若松監督が原発問題の根底を抉り出す筈だった次回作を完成させることなく急逝されたことがつくづく惜しまれる。
それから、私が以前ロケハンを手伝った園子温監督「ちゃんと伝える」において演出助手をつとめていた好青年・満島真之介さんが俳優に転向され、取り憑かれたのごとく森田必勝を見事に演じておられてたいへん驚いた。
※ この文章を書いてから、実際撮影に関わった方から、血判状のシーンは俳優陣がその場で書いたものであり、一発OKだったと聞いた。
教えを請うたことはありませんが、私の母校で教鞭もとられていた若松先生のご冥福をあらためてお祈りいたします。